松山地方裁判所 昭和38年(わ)68号 判決 1965年6月05日
被告人 白石春樹
明四五・一・二生 県議
主文
被告人を懲役壱年六月に処する。
但し、本裁判確定の日から参年間右刑の執行を猶予する。
訴訟費用は証人井川倉吉に支給した分を除きその余の分は全部被告人の負担とする。
本件公訴事実中、被告人が昭和三八年一月二六日施行の愛媛県知事選挙に立候補した久松定武の選挙運動員である井川倉吉に対し、同候補者が同選挙に立候補の暁は同候補者に当選を得しめる目的をもつて、同選挙に立候補届出前である昭和三七年一二月二〇日頃松山市一番町所在の共済ビル三階愛媛県農業共済組合連合会会長室において投票取纒の選挙運動方を依頼し、その資金及び報酬として金二〇万円を供与したとの点については被告人は無罪。
理由
(事実)
第一被告人の愛媛県政界における地位
被告人は、昭和二二年以来愛媛県伊予郡より引続き選出せられた自由民主党愛媛県支部連合会(以下自民党県連又は単に県連と略称する。)所属の県会議員であり、愛媛県議会においては従来より保守、自由民主党所属議員が絶対多数を占め、被告人は同党所属議員中最古参者でその手腕力量も勝れていたため、県会議長その他県議会の、また県連幹事長等県連の各枢要な役職を歴任し、議員中いわゆる実力第一人者として重きをなしていたものであるが、昭和三七年一〇月三〇日県連臨時大会において、昭和三八年一月下旬施行予定の県知事選挙を控え、県連の執行部強化の一翼として再び幹事長に選任せられたものである。
第二県連の分裂と知事選挙における対立
前記の通り、被告人は県議会における実力者として県政に参画し、また昭和三〇年九月、当時の県知事久松定武により県労働部長、出納長を経て副知事に選任せられた戒田敬之とは同郷の関係もあつて相提携して久松県政に協力して来たが、昭和三五年八月頃それまで久松県政に与党として協力し、県議会において絶対多数を占めていた自民党県連所属議員中、被告人及び前記戒田敬之に対し快からず思つていた井部栄治外一〇余名の議員が、久松県政は被告人及び戒田敬之のいわゆる白石、戒田ラインによつて壟断せられ、私物化せられていると被告人等に異論を唱えて自民同志会なる分派を結成し、被告人等県連主流派である県会自民党と相対立するに至つたが、久松知事が被告人等を支持したので、右同志会所属議員はその鉾先を次第に久松県政ないし久松知事個人にも向け、知事選挙期日の近づくに伴れ一層露骨に分派行動をとるに至り、昭和三七年八月、次期知事選挙に立候補予定の久松知事に対抗して愛媛新聞社社長平田陽一郎を知事候補者として推薦することに決し、その当選を期するため、社会党、民主社会党、愛媛地評、全労愛媛等革新四派とも提携して県政刷新県民の会と称するいわゆる五派連合を結成し、その後右県民の会主催の下に県下各地で県政批判演説会を開催し、白石、戒田ラインによる県政の私物化排撃等久松県政を糾弾し、その弊を改めるものとして平田を推薦し、一般県民に平田支持を訴え、また右五派も各その組織を動員して平田支援態勢をとるに至つたので、自民党県連傘下の各郡市、町村支部のうち同志会所属県議選出地区等においては反久松、平田支持に走るものも続出し、また同志会議員は自民党勢力を平田支持に指向させようとして自民党本部に平田を公認または推薦すべき旨運動した。
そこで久松知事を支援し、その再選を期していた被告人等県会自民党所属県議は久松知事の当選を図るには自民党県連傘下の各支部を県会自民党指導の下に再編成し、反久松派の異分子を排除して、被告人等久松支援に同調するもののみの組織として整備するとともに、応援弁士の派遣、中央政界の大物の来援、党印刷物の大量配布等有形無形の便益を得られる自民党の公認を得て、挙党一致の態勢で強力に支援することが必要であるとし、自民党本部に猛運動して平田を排し久松の公認を獲得し、昭和三七年一〇月二二日総決起大会を開催して、自民党の久松公認を発表して久松の支援を推進し、次いで同年一一月三〇日県連臨時大会を開催して反久松、平田支持の同志会所属議員の離党ないし除名を決議して異分子を排除し、県連を久松支持の県会自民党の系列の下に整理し、かつ、次期知事選挙に自民党公認として出馬する知事久松定武候補の選挙事務長として就任する手筈になつていた県連会長に衆議院議員井原岸高を選任し、執行機関である幹事長には県議中実力第一人者である被告人を選任し、ここに挙党一致団結して久松候補を支援する体制を整備強化し、その間及びその後に亘つて前記五派連合の県政批判演説会に対抗して県下各地において県政報告演説会等を開催して久松県政の実情、政策を訴えると共に県連傘下の各支部の再編成強化に努めたが、これを十分に果し切れないうちに知事選挙の告示日を迎えるに至つた。
第三知事選挙における被告人の役割
被告人は、自民党県連所属県議及び傘下の各支部役員、党員はもちろん、県連に同調する県選出国会議員等県連関係者にはその手腕を高く評価せられ絶大なる信用を博していたので、同志会所属県議排除後の県連傘下各支部の組織を再編成、強化し併せて党公認の久松候補の選挙態勢を確立することを当面の第一の任務とする県連幹事長に選任せられたのであるから、幹事長として久松候補支援の挙党体制をその中心となつて推進すべき立場にあり、かつ久松候補に対する不信、悪評も白石、戒田ラインによる県政の私物化という被告人に対する悪評がその主因をなしており知事選挙は同志会との政争に終止符を打つという重大な結果に連なつているのであるから久松候補の当落は直接被告人の政治的地位にも重大なる影響があり、被告人としては自己の政治生命を賭けて久松候補の当選に全力を尽さざるを得ない絶対の立場に立たされていたところ、選挙予定期日が近づくに伴れ、相手方平田支持の五派連合よりは県政を毒する白石、戒田ラインの張本人として益々強く非難、指弾を受け、一般県民の中にもこれに同調して、被告人に対し露骨に不信、反感の情を示すものもあつて、選挙運動期間に入り、被告人が一般選挙民の面前に立ち、久松候補のため応援演説をする等顔見世してする陽動的な選挙運動をすることは却つて同候補に対し不利を招く虞がある状態に立ち到つたので、被告人は、久松候補の選挙事務長になる予定の下に県連会長に就任し、その後選挙事務長になつた前記井原と協議して、久松候補の選挙運動は同候補が党公認の唯一の候補であるから県連が中心となつてその総力を結集してなし、会長井原、幹事長被告人の両名においてこれを推進することとし、井原において、事務長として対外的には選挙事務所の代表者となり、主として自民党本部その他外部との折衝、演説会、座談会を開催、出席して一般選挙民に対し宣伝活動すること等を担当し、被告人において、主として選挙運動及び県連の政治活動の資金の調達、配分、選挙事務所における事務の処理についての采配、県連傘下及び久松選挙事務所傘下の各支部及び連絡事務所に対する連絡指示等の事務を担当することにその分担を決めてこれを実行し、もつて被告人は井原と共同して久松候補の選挙運動を総括主宰したものである。
第四罪となるべき事実
被告人は、昭和三八年一月一日告示、同月二六日施行の愛媛県知事選挙に四月一日立候補した自民党公認候補久松定武の選挙運動を前記のような事情の下に総括主宰したものであるが、
一 県連東宇和郡支部の責任者で久松候補の選挙運動者である成松信慶に対し、
1 同候補の立候補届出前である昭和三七年一二月二〇日頃、県会議員浅田仙吉を介し、東宇和町大宇卯之町冨士廼家旅館において、自民党員を獲得して県連東宇和郡支部の下部組織を充実しその党勢の拡張を図るとともに、併せて久松候補が立候補の暁、同候補に当選を得しめるため投票取り纒めの選挙運動を依頼し、その資金及び報酬として金一四万五千円を供与し、
2 松山市一番町三七番地村善旅館に設置の久松候補の選挙事務所において、前同様党活動資金並びに同候補に当選を得しめる目的をもつてする選挙運動資金及びその報酬として、
(一) 昭和三八年一月五日頃 金三二万五千円
(二) 同月二〇日頃 金二六万円
を各供与し、
二 昭和三八年一月一一日頃、県連広見支部長で県会議員であり、久松候補の選挙運動者である宇都宮光明に対し、前記久松選挙事務所において、前記一の1記載の趣旨の通り党活動資金並びに同候補に当選を得しめる目的をもつてする選挙運動資金及びその報酬として金五〇万円を供与し、
三 県連松前支部長で久松候補の選挙運動者である島田光重に対し、岡井重一を介し、被告人の肩書居宅において、前記一の1記載の趣旨の通り党活動資金並びに同候補に当選を得しめる目的をもつてする選挙運動資金及び報酬として
1 昭和三八年一月九日頃 金二万円
2 同月二〇日頃 金三万円
を各供与し、
たものである。
(証拠の標目)(略)
(争点に対する判断)
第一 検察官は、選挙事務長井原岸高は選挙運動の総括主宰者ではなく、被告人のみが総括主宰者であると主張し、また弁護人は本件知事選挙においては久松候補のための選挙運動と自民党県連の党勢拡張のための党活動は下部末端においては一部において分離せず、同一人が兼ね行つたものもあるが、上部機関においては截然と分離し、選挙運動は井原会長が事務長として総括主宰し、党活動は被告人が幹事長として担当し専念していたもので、被告人が判示のように成松信慶、宇都宮光明、島田光重に交付した資金はいずれも党活動資金であつて選挙運動資金ではなく、選挙運動の総括主宰者は井原事務長で、被告人は総括主宰者でない旨主張するので考えてみることとする。
一、先ず、久松候補の選挙運動はどのように推進せられたかを検討するに、
1 自民党県連内における県会自民党派と自民同志会派の激しい政争のさ中、昭和三七年六月県議会において久松知事が次期知事選挙に立候補する意思を表明し、被告人等県会自民党議員はこれを強く支持し、同年八月頃選対本部長清家盛義、南予委員浅田仙吉、中予委員被告人、同桐野忠兵衛、東予委員瀬野良、同菅豊一等よりなる選挙対策委員会を設けて知事選挙対策を協議し、先ず久松定武の自民党公認獲得運動を強力に展開し、次いで同年一〇月二二日松山市堀之内県民館における「愛媛を守る総決起大会」を皮切りとして、当時盛んに行われていた五派連合側の県政批判演説会に対抗して、県政報告演説会等を開催して、一般県民に対し県政の実情を訴え、五派連合の被告人等及び久松知事に対する悪宣伝に反論し、その政策を宣伝して支持を求め、久松支援の運動を展開し、更に同年一一月三〇日開催せられた県連大会において、被告人等主流派に反対し、反久松の旗色を鮮明にしていた同志会所属県会議員の離党ないし除名を決定して異分子を全て切除し、県連を被告人等に同調する久松支持派に一本化し、その際久松候補の選挙事務長に就任する前提の下に県連会長に選任せられた井原代議士も、参会した党員に対し、自己の政治生命を賭けて久松候補当選のため努力する旨熱意の籠つた重大決意を表明し、挙党一致して支援運動すべき旨訴え、満場一致これを承認し、ここに久松候補の選挙運動は名実ともに県連が中心となつて推進することに決定せられた。
(右事実は、<証拠略>によつてこれを認めることができる。)
2 その後県連においては選挙期日の告示予定日が近づくに伴れ久松候補の選挙事務所として松山市一番町村善旅館を借り入れ設置することとし、事務所における事務責任者として県連青年部長で選挙事務に練達の藤田貢を当てることにし、また、予め久松候補の選挙期間中における遊説日程表を作成し各支部等に発送してこれに協力すべき旨依頼し、県連事務局の電話、机、椅子等を村善旅館に移転、持ち運び選挙事務所を設置し、その旨各支部責任者その他関係者に通知し、事務局職員は選挙事務所において選挙事務に従事することとし、なお事務員、労務者等を雇い入れ、もつて選挙事務所(本部)の態勢を整え、他方県下各郡市町村地区には各地区支部所属県会議員その他の役職員を選挙運動の責任者とする連絡事務所を設け、久松選挙事務所その他との連絡を緊密にすることとし、もつて県連を中核体とする久松候補の選挙運動体制を確立し、次いで昭和三八年一月一日選挙期日が告示せられるや久松候補は県連の作成した前記日程表に従い立会演説会、個人演説会、街頭演説会に臨み選挙運動をすると共に、県連は党本部より公認料等の交付を受け、また党本部に要請して池田首相を始め大臣、党役員、国会議員等数十名の来援を求め、演説会等を開催して選挙運動をしたが、右各選挙運動費用はすべて県連において負担し、また県連所属の国会議員、県会議員は主として各自の選挙地盤その他特殊関係を利用して久松支援の選挙運動をした。従つて久松候補の選挙運動は県連が総力を挙げて推進することに決し、県連において選挙事務所を開設して準備し、その中心となつて選挙運動をしたものということができる。もつとも弁護人等は久松候補の選挙運動は国会議員団、県会議員団、久松定武後援会、各種団体が四本の柱として並列的に推進したものであると主張するが、県選出国会議員はいずれも常任顧問として県連に属し、県会議員も県連本部又は支部の役員、党員として県連に属しており県連の構成員として相協力して選挙運動をしたものというべきであり、また久松定武後援会、愛媛県遺族会その他各種団体が或いは久松候補選挙事務所内に連絡事務所を設けて久松事務所と連絡をとりつゝ選挙運動をなし、或いは連絡をとらず独自の立場で選挙運動をなし、相当の効果を挙げたことはこれを認めることができるが、これ等後援会、各種団体関係証人等の各団体の運動状況に関する各証言は相当誇張している嫌いがあつて必ずしも全面的には信用し難いうえ、選挙事務所と連絡をとつて運動したものは、県連がその主体となり井原会長を事務長とする久松選挙事務所が推進している選挙運動を側面より協力援助したものと認めるのが相当であり、また独自の立場で運動したものは極めて少く、その比重は殆んどとるに足らない程軽少であるから久松候補の選挙運動は県連が主体となつて推進したものと認めざるを得ない。
(右事実は、<証拠略>を総合してこれを認めることができる。)
二、知事選挙運動期間中における県連の党活動と選挙運動との関係
前認定の通り久松候補は全県一区の選挙区で自民党唯一人の公認候補であり、県連は一体となつて総力を挙げて選挙運動をしたものであるところ、右条件のもと選挙期間中においては県連において、一般県民に対し、党の政策を宣伝周知させ党員の獲得、同調者の増加を図り党勢を拡張しようとするいわゆる党活動を行うことは一般選挙民をして、右党の政策を実行することを約して立候補している党公認の候補者のため投票の依頼をすることを第二次の目的としているものと感得させることを通常とするので、候補者のためにする選挙運動の趣旨を包含するものということができ、また、これと反対に、公認候補のため投票を依頼する選挙運動は、候補者を公認支援している党に同調を求めるもので党勢を拡張する党活動の分子を包含しているものということができ、公認候補者が複数である場合とはその事情を著しく異にし、選挙運動と党活動とは密接不可分の関係にあるものというべきであり、殊に前記の通り久松候補の選挙運動は県連がその総力を挙げてすることになり推進したものであるから、その選挙運動をすることは県連の党務で、同候補を当選させ勝利を得ることは最も有効な党勢拡張の手段であるといつても過言ではない。
弁護人は本件知事選挙に際しては、県連の党活動体制と久松候補の選挙運動体制とはこれを分離しなければならない必然性があつたと主張するが、当時県連は自民同志会系の反党分子を除名した直後で、郡市町村支部の下部組織は相当分断破壊せられており、その再建を図らなければならない事情の下にあつたことは十分これを認められ、また、被告人が当時県政を毒する白石、戒田ラインの本人として一部県民の悪評を買い、一般県民の面前で、顔見世して演説する等の方法による選挙運動をすることは却つて久松候補のため不利を招く虞があつたことは前記認定の通りであるが、かかる事実のみによつては未だ党活動担当者と選挙運動担当者を分離しなければならない必然性があつたものということはできず、殊に被告人は、その組織を挙げて久松候補を支援した県連の最高執行責任者である幹事長の職にあるのであるから下部の組織の整備をすると共に、前記久松候補に不利を招く虞のある方法を除き、他のあらゆる方法により選挙運動することはむしろ当然の責務ともいうべきであり、また被告人は後記認定の通り選挙運動をしているのであるから弁護人の右主張は到底採用することができない。
三、知事選挙において井原岸高及び被告人が果した役割、
前記の通り久松候補の選挙運動は県連が挙党一致して推進したものであるが、
1 井原岸高は、
イ、県連会長として自ら久松候補の選挙事務長に就任して選挙運動を主宰することを表示し、県連をして挙党一致して久松支援の選挙運動を推進する体制を樹立した。
ロ、昭和三八年一月一日村善旅館内の選挙事務所における事務所開きには「久松選挙事務所井原岸高」名義で県下各地区の県連支部代表者、役員、党員並びに久松定武後援会、県遺族会、農業団体その他各種団体代表者を招待し、席上選挙事務長としてあいさつをなし、久松候補の当落は各界に重大な影響を及ぼすもので、その当選を期するため、自己の政治生命を賭けて努力する旨熱情の溢れる決意を披瀝し、党員に対しては一丸となつて選挙運動を推進し、各種団体代表者に対してはこれに協力して運動し当選を獲得するよう久松候補応援の依頼と激励をして自ら選挙運動を主宰する旨の決意を表示した。
(右イ、ロの各事実は証人井原岸高その他多数の証人の証言によりこれを認めることができる。)
ハ、選挙運動期間中三回に亘つて選挙事務所を訪れ、選挙運動員その他を激励し、情報を収集し、また度々電話連絡をして情報を収集し、指示を与えていた。
(右事実は証人井原岸高、藤田貢の各証言を綜合して認めることができる。)
ニ、県連を代表して党本部から公認料等の交付を受け、また党本部に対し、池田首相その他大臣、党幹部等中央政界人の来援を要請してその実現を図つた。
(右事実は証人井原岸高、前尾繁三郎、藤田貢の各証言を綜合してこれを認めることができる。)
ホ、選挙運動期間中主として自己の選挙地盤である愛媛県第二区の東予方面において各地を歴訪して選挙運動者を激励し、演説会、座談会等に出席して応援演説する等選挙運動に従事した。
(右事実は証人井原岸高、田坂春、越智伊平等の各証言を綜合すればこれを認めることができる。)
以上のように井原岸高は、選挙事務長として、また県連会長として選挙運動を主宰し得る地位にあり、かつ現に久松候補の選挙運動について重要な役割を演じていたことは否定のできないところといわなければならない。
2 次に被告人は、
イ、昭和三八年一月一日の久松候補選挙事務所の開所式には県連幹事長として出席し、その後運動期間中は足繁く同事務所に出動し、事務長室である事務室奥の間に陣取り、県会議員その他選挙運動員の有力者、事務責任者藤田貢等と応接して選挙情報を交換収集して県下全般に亘り極めて綿密に各候補者の得票見込数を予想集計し情勢を判断してその対策を練つて選挙運動者に指示を与えたり、また県下各郡市町村の選挙運動者に激励電報を打つて激励したりして、事務長井原岸高に代りその事務を代行した。
(右事実は<証拠略>を綜合すればこれを認めることができる。)
この点について弁護人は、事務長井原岸高は藤田貢を事務長の代理者として選任し、藤田貢が選挙事務所において情報を収集し選挙関係事務について指示処理していた旨主張し、藤田貢が事務所における事務責任者として通常の選挙関係事務について指揮していた事実はこれを認めることができるが証人藤田貢、竹内昭一の各証言を綜合すると、選挙事務所事務室には
「事務長井原岸高―幹事長白石春樹 事務藤田貢」
とする事務所の組織系統図を掲示してあつたことを認めることができるが、これによれば事務所の最高責任者は事務長井原岸高であり、藤田貢が事務責任者であることを認めることができるが、右井原と藤田との間には「幹事長白石春樹」と記載せられてあり、これは被告人が井原に次ぐ指揮者であることを示しているもので、前認定の通り久松選挙事務所は県連において開設し、県連が中核となりその総力を挙げて選挙運動をしたものであるから、最高責任者は会長であり事務長である井原で、これに次いで県連の会長を補佐し、党務を執行する最高責任者である幹事長の被告人が統括指揮することは当然の処置であり、被告人が藤田貢の上位にあつてこれを指揮したとて何の不思議もなく当然のことといわなければならない。従つて藤田が事務長井原からその代行者として選任せられ代行したとの弁護人の主張は採用することができない。
ロ、久松選挙事務所における費用については被告人は予め出納責任者坂本若松、事務責任者藤田貢と協議しており、その後同人等に交付して支払わせ、また選挙の終了後藤田貢に対して竹内昭一外一〇名余の事務員に対し、特別報酬として合計金二〇万円を交付することを許可して分配させている。
(右事実は<証拠略>を綜合すればこれを認めることができる。)
ハ、被告人は本件選挙に際し、会社、銀行、その他から合計金二、〇〇〇万円余の寄付金を受け取り判示成松信慶外二名を含む県連支部役員等に党勢拡張資金の名の下に配分している。
(右事実は被告人の認めるところであるが、右金員が選挙運動資金の趣旨をも含んでいるものもあることは前記説明に徴し明らかである。)
以上のように被告人は県連幹事長として久松候補の選挙運動について極めて重要な役割を果しているものといわなければならない。
3 そこで久松候補の選挙運動について重要な役割を果した右井原岸高と被告人のいずれが右選挙運動の総括主宰をしたと認められるかについて考えてみるに、
公職選挙法第二二一条第三項第二号の「選挙運動を総括主宰した者」とは特定の候補者のため、その選挙運動組織の中心となり、その総元締として選挙運動を事実上主宰したものをいい、それは必ずしも一人に限られるべきものではなく数人が合議の上共同して総括主宰することもでき、右共同は選挙運動に関する諸般の事務の個々について、また選挙活動の個々についてあることを要せず、予め均衝を失しない相応の分担を決め、各自その担当事項について専決処理する場合においても、数人が相寄り相扶けて共同して処理したと認められる場合はこれを包含し、共同して総括主宰したものと解するのを相当とするところ、右井原岸高及び被告人が知事選挙において果した役割は前記の通りで、選挙事務長で県連会長である井原岸高が選挙期間中選挙運動組織の中枢である久松選挙事務所を離れ、主として東予地区において選挙運動に従事したのは、井原岸高は、その選挙地盤である愛媛県第二区の東予地区において、従来同人を支持し、同人の系列に属していた県議会議員数名が、反久松の自民同志会に走つたため、県連会長として己むを得ず賛成して除名したような事情があり、従つて久松候補の当選を期するためには自己の地盤である東予地区において特にこれを整備し、久松支援に再編する必要があり、そのためには多年に亘り県議、代議士としてその支持を受けてきた井原自身が、自ら同地区を巡回し演説会、座談会等に出席して一般県民に対し自己の立場、久松支援に至つた自己の衷情を訴え、その支持を求めることがその人柄、経歴、地位より見て、選挙事務所に常駐してその総指揮に当ることより勝る最も効果的な自己の採り得る久松支援の選挙運動であるとしてこれを実行し主として東予地区にいたとはいうものの選挙事務所とは度々電話により連絡していたもので、また被告人が主として選挙事務所において指揮をとつたのは、被告人は党員を把握し、党組織を強化することについては勝れた手腕をもつているに反し被告人が自ら演説会等に出席して応援演説をする等の選挙運動をすることは却つて久松候補の不利を招く虞があり、選挙事務所において情報を収集し、情勢を判断して選挙運動員に対し具体的指示を与えることが、その人柄、世評、地位よりして最も効果的な選挙運動であるとして、井原岸高と被告人は協議の上各自の特徴を生かし、判示のように選挙運動についてその分担を決めこれを実行したもので選挙事務所においてその采配を振つたのは主として被告人であるとはいうものの、井原岸高と被告人の分担した選挙運動はその重要性、成果等については容易に優劣を決し難く、また井原岸高は選挙事務長の最高の地位にあり、被告人は人事の序列では県連幹事長として井原岸高の下位にあつたとはいえ、政治力の面では前記の通り卓抜な実力を有していて、井原岸高に劣らず、遜色がなく事実上対等的地位にあつて、その分担した事務についてもその多くは各自専決し、命令服従関係は認められず、両名協議の上その分担を決め前記の通り選挙運動を推進してきたもので井原岸高と被告人はともに久松候補の選挙運動組織の中心で、その総元締として共同して選挙運動を事実上主宰したもので総括主宰者というに何等支障はないものといわなければならない。
第二 弁護人は本件金員は県連幹事長として被告人が、その所属支部の支部長又は役員である成松信慶、宇都宮光明、島田光重に交付したものであるが、県連において関与し昭和三七、三八年度中に施行せられた地方選挙は本件知事選挙のほか、統一地方選挙を含め三十六に上り、県下殆んどの市町村長及び議員の選挙が行われており、本件金員が選挙に関し授受せられたとしても、前記地方選挙にも関連しており本件知事選挙のみではないところ、選挙運動資金といい得るためには特定の選挙において特定の候補者を目的とすることを要件とするのであり、本件は右要件を欠いているので選挙運動資金と認めることはできないと主張するので検討するに、選挙運動は特定の選挙において特定の候補の当選を得、若くは得しめ、又は得しめない目的でなされることを要することはもちろんであるが、右選挙及び候補者が唯一であることは必ずしも必要がなく、日時を同じくし、又は近接して行われる複数の選挙において各特定の候補者を同時に目的としていても当選を得しめ又は得しめない目的でなされれば各候補者のための選挙運動と称するに何等妨げがないものというべきであり、本件金員は前認定の通り久松候補の当選を得しむる目的で授受されたものであるから、仮りに他の選挙における候補者の当選を得しむる目的をも有していたとて本件犯罪の成否に影響を及ぼさず、弁護人の右主張は採用できない。
第三 検察官調書の証拠能力の有無について
一 弁護人等は被告人が勾留中狭心症の前駆症のため絶対安静を要する危険な状態にあつたこと、当時勾留中の成松信慶の病状悪化および宇都宮光明の県会議員選挙が間近に迫つていたこと等を心配して、同人らの勾留を一日でも早く解いてやりたかつたこと及び検察官の取り調べに迎合しなければ党員が次々に逮捕され党が破滅に瀬するに至ることをいたく憂慮したこと等の事情から検察官に対し迎合せざるを得ない情況下において取り調べを受けたので、被告人の検察官に対する各供述調書は任意性を欠き証拠能力がない旨主張するのでこの点につき検討するに、証人毛利一夫、白石善之の各証言、被告人の供述を総合すると、被告人が逮捕勾留されて検察官の取り調べを受けた当時狭心症の前駆症にかかつていたことは明らかであるが、始終発作を起し病苦に苦しんでいたわけではなく、全く平静に復し何ら異状の認められない状態になることもあり、被告人の病症がさほど重篤であつたとは認められないこと、勾留中とはいえ被告人の申し出があればいつでも医師の診療を受けることができる状態にあり、また実際に手厚い診療を受けていること、成松信慶の病状、宇都宮光明の選挙情勢、党の難局等被告人にとつて憂慮すべき事情は、検察官がこれを手段として被告人に圧力を加えたようなことは認められず、結局被告人において検察官に対し供述するに際し主観的に若干の不如意を感じる程度でさしたる影響はなかつたと認められること、更に調書の体裁、内容等について見るに、事実を認めた部分のみならず、否認した部分をもそのまま録取され、事実を認めた部分は逐一詳細に当時の事情を供述しており、理路整然として何ら経験則に反する点が見出されないこと、調書作成の都度読み聞かせを受けたうえ異議なく署名指印に応じていることがそれぞれ認められる。以上諸般の情況に照らし、被告人の検察官に対する各供述内容が任意にされたものでない疑があるとは未だ認められないので、弁護人等の主張は採用できない。
二 弁護人等は、前掲証拠中、仲川幸男、清家盛義(二通)、宇都宮光明、菅豊一、竹内昭一(二通)、小笠原勲(二通)、藤田貢(七通)の検察官に対する各供述調書及び宇都宮勇太郎(七通)、宇都宮光明(三通)、松浦繁雄(八通)、井伊権幸(八通)、稲葉竜一(二通)、島田光重(二通)、中山武司(六通)、井関郁夫(一二通)、三好雅夫(五通)、成松信慶(五通)の検察官に対する各供述調書謄本につき、検察官は右供述者等に対し終始著しい予断をもつて取り調べに臨み、拷問、脅迫、誘導を行い、右仲川、清家、宇都宮(光明)、菅等は県会議員選挙を、右藤田は市会議員選挙をそれぞれ間近に控えて不安焦慮の余り検察官に迎合することを余儀無くされるような状態にあり、殊に右宇都宮(勇太郎)は狭心症、右成松は胃潰瘍のためそれぞれ病苦に苦しんでいたにもかかわらず勾留を継続して取り調べを強行する等同人等をして真実任意の供述を期待できないような状態において取り調べがなされたので、いずれも特信情況なる要件を欠き証拠能力がない旨主張するので、この点につき検討するに、右供述者等が公判準備若しくは公判期日において右各供述調書及び各供述調書謄本における供述と相反するか若しくは実質的に異なる供述をしていることは同人等の各証言内容に徴し明らかであるが、同人等はいずれも自民党県連所属の党員として久松候補のため選挙運動をした者であり、その証言が被告人のみならず、久松知事の地位にも影響を及ぼす極めて重大な政治的結果に直接関係すること及び県政界における実力第一人者の被告人の面前、或いは県連幹部等多数の傍聴をはばかつて真実を語りたがらない情況が認められる(証人成松信慶については、このほか更に被告人が自己の勤務する愛媛県農業共済組合連合会の会長であること及び被告人には自己の娘の就職につき世話になつたこと等の恩義にそむきたくないため真実を語ることを躊躇せざるを得ない事情がうかがわれる。)こと、検察官の取り調べに際し強制、拷問、脅迫等を加えた事実及びこれに類する無理な取り調べをした事実は認められないこと、また本件のような複雑な事件については或る程度の誘導は当然予想されるところであり、現に右各供述調書及び各供述調書謄本は読み聞けを受けたうえ署名指印がなされ、その供述の方が同人等の各証言よりも理路整然としており、客観的事情に符合していてより高い信憑性のあることが認められること、なお右成松、宇都宮(勇太郎)の両名がそれぞれ胃潰瘍或いは狭心症にかかつていたことは同人等及び証人毛利一夫、白石善之の各証言によつて明らかであるが、右成松、宇都宮両名の各証言よりも特段に誰はばかることを要しない検察官に対する理路整然たる各供述に寧ろ高い信憑性を認めるべきことは他と些も異らないこと等がそれぞれ認められ、以上諸般の情況に照らし前記仲川等の検察官に対する各供述調書及び各供述調書謄本の方が同人等の各証言よりも信用すべき特別の情況の下にされたものと認めざるを得ないので弁護人等の主張は採用できない。
(法令の適用)
法律によると、被告人の判示一の1事前運動の所為は公職選挙法第二三九条第一号、第一二九条、罰金等臨時措置法第二条第一項に、金員供与の所為は公職選挙法第二二一条第三項第二号第一項第一号、前記措置法第二条第一項にそれぞれ該当するが、右は一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから刑法第五四条第一項前段、第一〇条により一罪として重い後者の罪の刑で処断することとし、その余の各所為はいずれも公職選挙法第二二一条第三項第二号、第一項第一号、前記措置法第二条第一項にそれぞれ該当するので、各所定刑中いずれも懲役刑を選択し、以上は同法第四五条前段の併合罪であるから同法第四七条本文、第一〇条により犯情の最も重い二の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役一年六月に処し、情状憫諒すべきものがあるので同法第二五条第一項により本裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用については刑事訴訟法第一八一条第一項本文を適用して証人井川倉吉に支給した分を除きその余りの分は全部これを被告人に負担させることとする。
(無罪部分の理由)
公訴事実中
被告人は、昭和三八年一月二六日施行の愛媛県知事選挙に立候補した久松定武の選挙運動員で選挙人である井川倉吉に対し、同候補者が同選挙に立候補の暁は同候補者に当選を得しむる目的を以て、同選挙に立候補の届出前である昭和三七年一二月二〇日頃松山市一番町所在の共済ビル三階、愛媛県農業共済組合連合会会長室において投票取纒の選挙運動方を依頼しその資金及び報酬として金二〇万円を供与したとの事実について案ずるに
1 証人井川倉吉の証言、同人の検察官に対する各供述調書、被告人の供述、被告人の検察官に対する各供述調書を綜合すると、
井川倉吉は前記県連会長で久松候補の選挙事務長を勤めた代議士井原岸高の秘書であるところ、従来から同代議士の出身地の三島市にある同代議士の事務所を本拠として、秘書の役柄、地元県連三島支部についてはその責任者となり、また隣接の川之江、宇摩支部についてもその世話をなし、同地方における冠婚葬祭その他催し場には同代議士の代理として出席し、花輪、盛籠等を提供して、顔見世し、また県連主催の県政報告演説会、愛媛を守る会、自民党の決起大会が開催せられるに当つては会場の設営、関係者の送迎、食事の準備等の諸般の事務を担当し、県連より送付せられた関係ポスター、宣伝文書の配布等をし、前記久松知事が自民党に公認せられてからは主人井原岸高の指示に従い久松定武名義にても花輪等を提供してきたが、(右諸般の行為はいずれも公然と行われたもので久松候補を有利に導く目的をもつてなされたものもあるが、未だ事前の選挙運動として犯罪を構成すると認める確証はない。)これ等に要した代金、交通費、人夫賃等の経費も相当額に上り未払額も増加したので県連に対し、その支払資金の醵出を求めたが容れられないうち、同年一二月一〇日頃被告人が同地方に来たので更に幹事長である被告人に懇請するに至つた。そこで被告人は同月二〇日頃これを承諾し、井川に対し特に明細な使途を指示しないで金二〇万円を交付したもので、井川は右金二〇万円を主として当時既にそれまでに未払となつていた前記諸経費の支払を同月末までになし、なおその一部金一、二〇〇円は自己及び人夫の煙草代として、金五、三〇〇円は自己、運転手及び人夫の食事代として費消し、金一、二〇〇円は知事選挙告示後久松候補の選挙用ポスターの貼布人夫賃として費消したこと、井川は右告示後久松候補のため選挙運動をしたことを認めることができる。
2 従つて右認定の事実に、井川倉吉及び被告人の検察官に対する各供述調書中、右金二〇万円は井川倉吉に対する選挙運動の報酬とする趣旨も一部包含せられていたと思料する旨の供述記載を綜合すると、
被告人の右金二〇万円の交付は公訴事実記載のように供与罪を構成し、事前の選挙運動であると認められないこともないようでその嫌疑は十分あるが、翻つてなお仔細に検討するに、前記の通り井川が明らかに久松候補の選挙運動費用として費消したと認められる金員は金一、二〇〇円の僅少で、また自己の用途に費消した金員も数千円に過ぎずかつ報酬的要素に乏しく、その殆んどの大部分は、その主人である井原代議士のためその選挙地盤培養の目的で通常行われている方法による活動費用、それに県連主催の県政報告演説会、自民党の地区決起大会、座談会などに要した諸費用、県連の指示による宣伝活動費用等の支払に充てられており、殊にその大部分は本件金員授受当時既にその行事活動を終り費用のみ未払として残存していたものであること、井川倉吉の主人井原岸高は前記の通り県連会長で本件当時久松候補の選挙事務長に就任することに決定しており従つてその秘書である井川も同候補を支持し無報酬ででも選挙運動をしなければならない立場にあつたこと等を綜合して考えると井川は井原代議士及び県連のため使用した経費を支弁するため被告人にその資金を要求したもので、被告人もまた同様の趣旨で交付したものと認定するのを相当とする。右認定に反する井川倉吉及び被告人の検察官に対する供述調書の供述記載部分は措信し難い。
3 ところで、選挙運動者に対し金銭を交付する方法による公職選挙法第二二一条第一項第一号所定の供与罪が成立するためには、その金銭が選挙運動の報酬という実質的な利益の趣旨を含むものであることを要し、費用の支弁その他何等実質的利益をもたらさないものは供与罪を構成せず、また同項第五号所定の交付罪が成立するためには、選挙運動者をしてその金銭で直接または間接に選挙人を買収する等同号所定の目的をもつて金銭を交付することを要するところ、被告人の井川に対する金二〇万円の交付は、前認定の通り報酬の趣旨を含まず、また選挙人の買収その他第五号所定の目的を欠いているのであるから、供与罪も交付罪も構成せず、選挙運動とも認められないのであるから、結局右公訴事実は疑わしきは罰せずの原則に従い証拠不充分として刑事訴訟法第三三六条に従い無罪の言渡をする。
よつて主文の通り判決する。
(裁判官 矢野伊吉 上野利隆 白須賀佳男)